少数派でも自信をもって行動せよ
いつの時代にも、どこの国にも、「変わり者」というのは存在します。たとえ正しくても、集団からはみ出してしまうと大抵「変わり者」とされてしまいます。特に謎に集団性の強い日本の場合、集団からはみ出てしまうそうした「変わり者」は厳しい目で見られがちです。
ただ、この「変わり者」は非常に重要であり、時には人類存続の鍵にもなり得ます。
いくつか例を挙げましょう。
- 恐ろしい感染力と致死率の病気が流行して村が全滅した。しかし1人村から離れた山中で暮らしていた男が災禍を逃れていた。
- 戦争で敵軍が攻めて来るからと皆が街に立て籠もったものの、ある一族だけが慌てて街の外に逃げ出し笑われた。その後、街は攻め滅ぼされ皆殺しに遭った。
- 皆が便利な川沿いの村に住んでいたが、大雨の夜に土石流が村を全て押し流した。しかし村外れの高台に住んでいた一家だけが生き残った。
人類が必ず集団でしか行動していなかったのなら、とっくに絶滅していたかもしれません、集団からはみ出す「変わり者」は、種や民族の存続にとっての安全装置でもあるのです。
自分や家族の安全を考え、集団を外れて行動するのが「変わり者」なのだとすれば、「変わり者」になるのを恐れる必要はありません。
情報が多くある現代では、間違っていることは、それが多数派であっても容易に看破できます、ましてや「同調性バイアス」に陥る愚か者に成り下がることを恐れる必要など、どこにあるでしょうか。
解っているのに誤った方向に進むのは、解かっていなくて誤った方向に進むよりも愚かなことだと思いませんか?